プロフィール1・ 青春上京編
1977年(昭和52年)生まれ、鹿児島県(旧日置郡郡山町)出身の32歳です。桜島が遠くに見える田舎の自然で育ちました。
小学生の頃、映画「ロッキー」を見て感動、ボクサーを志し、高校入学後、地元のボクシングジムに入門しました。しかし、そのときにはボクシングは半年しか続かず、友達の遊びの誘惑に駆られ高校も1年生の終わりで退学。家も飛び出し、約半年間ブラブラと遊び自堕落な生活を送りました。
次第に、「ずっとこのままでいいのか。鹿児島にいたら駄目だと!」思いはじめ、「もう一度ボクシングをやって強くなろう」と決意、バイク売ってお金を作り義兄を頼りに京都へ行きました。
そこで紹介された仕事が庭師でした。京都に行ってからは、朝走り、仕事して、夜はボクシングの練習という生活が始まりました。私の庭師としての師匠は有限会社造園竹の竹園憲二さんです。
仕事にはとても厳しい方でしたが、不器用で物分りが悪い私を育てて頂き、庭師として、人として私の底辺を作ってくれた人です。
それから3年ぐらいが経ち、庭師の仕事が忙しくなりました。仕事の終わりが8時、9時となるとボクシングの練習が出来ません。そこで、一度ボクシングに集中させてほしいと頼み、庭の仕事をやめて上京しました。そして、色々なボクシングジムをまわり、たどりついたのが宮田ボクシングジムでした。宮田ジムは指導熱心で、試合会場で見た宮田博行会長の選手にかけてる熱意を見て、すぐに宮田ジムに入門しました。
プロフィール2・ 青春奮闘編〜ボクサーとして新人王に
ボクシングの世界への再入門後、先輩ボクサーにボコボコに打ちのめされる日々が続きました。ジムに行くのが怖くて怖くて、嫌になり、やめて帰りたくなりました。ですが、私が上京するときに兄弟子の中島正義さん(現・さが造園代表)に、「プロになるまで絶対帰ってくるな」と言われた言葉を思い出すと、帰ることは出来ませんでした。
それから、「どうにか気が強くなれないか」と侍の本や、メンタルトレーニングの本を読むことにしました。それでも試合前や、強い人との練習では恐怖心が消えることはありませんでした。そんなときに本屋でお寺の本を読み、座禅をしている写真を見て、「座禅したら、きっと気が強くなって恐怖心はなくなる」と安易な考えで、座禅が出来るところに行きました。そこで逢ったのが、形山睡峰和尚さんです。
座禅が終わってから、和尚様に聞きました。すると和尚は、「座禅して気が強くなったり恐怖心なんかなくならないよ。そんな事は大間違い。どんな武道家だって恐怖心はあるよ。きみの相手だってきみが怖いよ。」と言われました。それからは、何か少し怖さに対して工夫できるようになりました。
試合前はいつも怖かったです。いつも試合日には遺書を書いて、近くのお寺に行って「相手が無事ですように。俺は恥ずかしい試合だけにはならないように、俺に勇気をください。」と祈っていました。そのようにして私はライト級のプロボクサーとして「世界チャンピオンへの登竜門」と言われる東日本新人王戦に出場しました。周囲の人のサポートと努力のかいがあり、私は8連勝で新人王を獲得することが出来ました。
プロフィール3・ 再び庭の世界へ
全日本新人王を獲得してから、三ヶ月くらい練習をしたのですが、不思議と身が入りませんでした。達成感というか、満足したというか・・。今でも後悔しているのは宮田ボクシングジムの宮田会長にあれだけお世話になったのに、これから少しは役に立つという時に何も考えずにボクシングをやめてしまったこと、自分に期待してた人を裏切るようなことをしてしまったことです。
ボクシングをやめ、京都の義兄、石材ゆう代表・桑嶋淳二のところへ行き半年ぐらい石屋として石のことを学びました。ここでの石屋の経験がのちに庭屋として大いに役に立ちました。そこでは、お寺の仕事などが多く、庭にふれることもあり、植物園などに行ったりしているうちに、また庭の仕事をしたくなりました。
そして、京都で庭のことを学べる会社で修行しようと何社も見学に行き、最終的に表千家・家元の茶庭をやっている上羽造園に入社しました。そこでは、茶庭に影響を受けました。そこではよく休みになると、兄弟弟子とお寺に行ったり、一般の民家の庭を見たりしました。兄弟弟子に同じ年の優秀な人がおり、私は彼に負けたくなくて、みんなが昼休みに寝ていても、木の名前覚えたり、好きな場所をスケッチしたりしていました。
それから25歳のときに結婚を機に妻の実家のある山形県に来ました。山形県では高橋造園さんで三年間修行しました。ここでは高橋社長の息子さんが京都で修行した方でその感性の豊かさを学ばせていただきました。
上羽造園時代から独立を考えていて、義兄や周囲の先輩方の献身的なサポートを頂き、平成18年に独立開業、「有鄰庵」を設立しました。
プロフィール4・ 自然と経験の融合から独自性のある庭を
独立後も毎年、本場・京都に行き、義兄の仕事であるお寺の石張り、石積みを手伝いますが、これは私の財産になっています。開業2年目に有限会社南光造園の阿部好信社長に出会い、石組み、植栽のバランス、剪定、庭師のものの考えかたを学びました。京都で茶庭を専門に手掛ける兄弟弟子にあたる太田造園・代表の太田真光さんには茶庭の植栽方や飛び石の打ち方、竹垣などを教えて頂きました。最近では、兄弟子で、ガーデニングを専門に手掛ける、さが造園・代表の中島正義さんに外構工事や洋風庭園を学びました。私が心掛けていること。山に行きスケッチしたり、川の流れをスケッチしたりして、自然のものから、色々なものを取り入れて、学んだことと融合させて自分のオリジナリティを出していきたいと考えています。より高い技術をもつ事で、それがお客さんのためにもなります。私がかかわるお客さまにとって私がベストの庭師でありたいと思います。仕事をして、お客さまから、私に頼んでよかったと、言われたとき、心の底からこの仕事をしてよかったと思える瞬間です。私は高校もボクシングも途中でやめたり、どれひとつトコトンやっていない人生です。あと人生半分です。何か一つ、トコトン追い詰めて真剣にやりたいのです。どの道の人も、熱い情熱をもった人が大きな事を成し遂げてます。鹿児島から出たときから、人生に対して情熱を失ったことはありません。私が死ぬ時には「あしたのジョー」のように、真っ白に燃え尽きたいと思います。
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